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明治書院

明治書院

大久保1-1-7, Shinjuku-ku (Tokyo), 169-0072, Japan

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About 明治書院からのお知らせ
明治書院 cover
Mission 国文学・漢文学・国語教育の専門書、高等学校の国語の教科書を出版。
Description  創業者三樹一平は明治12(1879)年に神奈川師範学校卒業後、小学校の教壇に立ち、間もなく郡役所書記となり、教育主任として教育行政に携わった。師範学校時代から教科書の不備や、新時代にふさわしい教材の不足を痛感していたので、新しい教科書づくりに意欲を燃やしていた。 明治26(1893)年35歳のとき、師範時代の校長で恩師の小林義則が経営する教科書出版の大手会社文学社に入社した。

 明治29(1896)年1月1日、落合直文門下の与謝野鉄幹を編集長に迎え、一平は東京市神田区通新石町2番地に落合直文の命名になる「明治書院」の社名を掲げ、国語漢文の教科書発行を経営の柱とした。小学校が整備開校されていく中で、これからは中等教育の時代との見通しを持っていた一平は、中等学校では良い教科書が望まれるという出版人としての直感と教育者としての信念があった。この年刊行の主なものは、いずれも直文による『中等国文読本』『日本大文典』などで、創業の姿勢をよく表している。直文は30代半ば、短歌革新を唱える短歌界の一方の雄であり、国文学の泰斗として、第一高等学校・東京専門学校(早稲田)・國學院で教鞭をとりながら、国文学の革新に情熱を注ぎ、新しい口語文体の形成に腐心していた。教科書発行とともに編集長与謝野鉄幹の処女詩歌集『東西南北』を上梓し、青年層に広く迎えられた。それは『明星』創刊の礎となり、創刊時の発売を明治書院引き受ける契機になった。

 明治30(1897)年、現在地の神田錦町1丁目に社屋を新築。教科書は新たに落合直文編『中等国語読本』を刊行し、『徒然草読本』など抄本教材や古典参考書類を充実させて、国文専門の営業基礎を固めた。『明星』の与謝野鉄幹・晶子夫妻の歌風に強く惹かれていた石川啄木が、書院に一時籍をおいたのもこのころであった。

 落合直文が42歳でこの世を去った後、精神的支柱になったのは森鴎外であった。当時、教科書は中学校用、女学校用、師範学校用を含めて、創立10年後の明治39年までに刊行点数は120点を数え、国漢の明治の定評を得ていた。

 鴎外は落合の『中等国語読本』の改訂編集に着手し、明治44年『修訂中等国語読本』として落合直文・森鴎外・萩野由之の三人の名前で刊行した。この教科書は改訂・校訂・新訂と改訂編集されて大正10(1921)年まで刊行された。落合がこの世を去っても、なお約20年間使われた大ベストセラーであった。

 教科書部門の拡大充実により社業の確立を得た明治書院は、さらに一段の飛躍をめざした。歴史関係の教科書編纂、英語の読本刊行など、国語漢文を軸としつつもその出版外延の拡大が図られた。また、一平は請われて中等教科書協会会長、東京出版協会会長などの要職につき、傍ら東京書籍常務取締役、日本製紙専務取締役なども兼任、業界の発展のために意を砕いた。

 このように順風満帆で迎えた大正時代であったが、出版界は紙価の高騰という深刻な事態に見舞われ、一平は業界のとりまとめ役として東奔西走の日々となった。
  大正12(1923)年9月、関東大震災が襲った。書院も社屋・倉庫を全焼し、二十七年余の集積は烏有に帰した。一平は教科書供給に支障があってはならないと大阪に直ちに出張所を設け、すぐさま再建にとりかかった。印刷・製本を済ませ無事供給を完了した。しかし、このときの過労がもとで倒れ、翌13年12月に65歳の多彩な生涯を閉じた。営業上は必死の努力が実って比較的早く立ち直ることができた。教科書は理科・数学・保健を加えた。

 昭和6(1931)年創業三十周年、書院はひとつの隆盛期を迎えた。震災以来10年近い仮住まいをようやく解消し、神田錦町1丁目旧社屋跡に新社屋を完成。 
 昭和8年、徳富蘇峰の主宰する民友社を吸収、翌9年には高島米峰の経営する丙午出版社を買い取り、営業規模を大きくした。
 『国語科学講座』『謡曲大観』、簡野道明の漢籍注釈書、そのほか古典評釈などで名著として後世に名を残したものにはこの時期の刊行が多い。
 特に当時、沼田頼輔著『日本紋章学』が恩賜賞を受賞したことは、創業の志を貫いてきた一筋の道への励ましとなった。昭和19(1944)年3月、戦時企業整備令により、7社を合併して存続したが、出版活動はほとんど休止したような状態であった。

 昭和20(1945)年、激しい空襲下、社屋は付近の住民の防空壕と化して終戦を迎えた。戦後の深刻な紙不足と制作費の高騰、インフレの嵐といった悪条件のもと、書院は苦しい経営を余儀なくされた。
 このような状態を救ったのが昭和28(1953)年からの『徒然草の文法』を最初とする古典作品別文法叢書の刊行であった。このシリーズは品詞分解を特徴としたが、当時国文法の難解さを訴える学習者の悩みにまさに適合したも
Founded 01/01/1896
Products 高等学校の国語教科書/副教材・事典/新釈漢文大系/和歌文学大系/雑誌日本語学/雑誌国語と国文学

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