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牟禮山観音禅寺

牟禮山観音禅寺

竜王町 小口 848, Gamo-gun (Shiga), 520-2552, Japan

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About 臨済宗妙心寺派に属する禅寺。人生相談、各種ご祈祷、承ります。
牟禮山観音禅寺 cover
Description  臨済宗妙心寺派に属する禅寺です。

 観音寺のご本尊さまは十一面観音(じゅういちめんかんのん)さまです。この十一面観音さまは、今から一四〇〇年以上前の推古天皇九年(六〇一)、聖徳太子(しょうとくたいし)さまが二八歳の時に、一刀三礼(一つ鑿を入れるごとに三度礼拝すること)して刻まれたものと伝えられています。

 平安時代、この観音さまは牟禮山法満寺というお寺をお守りするほとけさまとして、お祀りされていました。この法満寺は、文武帝の大宝元年(七〇一)に金蕭大菩薩が開いたお寺で、奈良の東大寺を開いた良辯(ろうべん)上人(六八九ー七七三)が、天平十一年(七三九)に伽藍を整えました。最も栄えたときには山中(やまなか)という地を中心に広大な寺(じ)領(りょう)をもち、僧房(=お坊さんが修行したり生活をする建物)が五六棟もある大きなお寺でした。観音寺はその後、仁寿三年(八五三)に法満寺の五別院[註]といって、法満寺を代表する五つのお寺のうちのひとつとして、いまの小口松ヶ岡の観音谷というところに建てられました。

 小口(おぐち)は、むかし牟禮山と呼ばれた土地と箱石山と呼ばれた土地とのちょうど境にあります。小口より南、山中(やまなか)までは「牟禮山(むれざん)」といい、小口の北側にある薬師(くずし)から鏡(かがみ)までは「箱石山」と呼ばれていました。そのころは、「箱石千軒、牟礼千軒」と言われるほど、このあたりの山丘地帯には合わせて二千戸もの家が建ち並び、賑わっていようです。そのころの法満寺には、たくさんの僧兵がいました。また、鏡山の一峯にあった箱石山雲冠寺(雲観寺)もたいへん大きなお寺で、ここにもたくさんの僧兵がいて、何百年にもわたり、この二つのお寺の間には、たびたび争いが繰り返されたと記録にあります。

 時代はくだって戦国時代、天正年間(一五七三ー一五九二)に織田信長の兵によって雲冠寺とともに法満寺は焼き討ちに遭(あ)い、数多くのお寺や仏像が焼け落ちてしまいました。しかし、すべてが焼け野原となってしまったこの山に、不思議にもこの十一面観音さまだけは、厳(おごそ)かなお姿で、たたずんでおられました。そのお顔は慈悲にあふれ、ひとびとの争いを憐(あわ)れんでおられるようでした。

 それから一〇〇年ほどの間の様子はわかりませんが、江戸時代になって、列(れつ)岑(しん)鈞(きん)禅師(?ー一七〇二)という和尚さまがこの村におられました。ある夜のこと、この和尚さまの夢の中に観音さまが現われました。観音さまは「ここより少し南の臨川山(いまの場所)にわたしを迎え、末代までこの村(小口)の氏仏として崇めよ」と言われました。そこで、和尚さまは現在の地に寺を建て、寺号を牟礼山観音寺としました。それは寛文二年(一六六二)のことでした。まもなく西鮮禅東禅師という和尚さまがこの寺の住職をされ、新たに臨済宗の禅寺としました。

 明治末から大正初め頃には、住職不在の時期もありましたが、大正七年(一九一八)に瑞岳玉道尼が住して諸堂の修復に力を尽くしました。その後三代にわたって尼僧さんが住職をされていたことがあります。

 観音寺の本尊さまは秘仏とされています。普段はお廚司の中に入っておられ、そのお姿を直接拝むことができませんが、六〇年に一度だけ行われる大開帳のときと、三〇年に一度行われる中開帳のときに、そのお姿を拝むことができます。最近では平成十二年に大開張が盛大に行われました。

 なお、観音寺の山の奥には、小口出身の蘭学者・奥東江(おく・とうごう)先生の塋域があります。奥家はいまの観音寺が建っている土地を所有していましたが、観音寺を移築する際に、この土地を観音寺に寄進されました。
Founded 601年
  • 竜王町 小口 848, Gamo-gun (Shiga), 520-2552, Japan
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