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福島県立医科大学

福島県立医科大学

光が丘1番地, Fukushima-shi (Fukushima), 960-1295, Japan

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Description 歴史福島女子医専第二次世界大戦において日本軍の戦局が厳しさを増していく1944年(昭和19年)、徴兵や勤労動員によって学校から姿を消した男子学生に代わって、男子専門職を代行ないし補助できる女子を養成する必要から「女子専門学校教育刷新」が政府より出された。医療部門でも人不足は例外ではなく、とりわけ福島県ではもとより医師が不足していた。当時の県内町村の過半が無医地区であり、人口1万人あたりの医師数も4名ほどで、全国平均の7.2名を下回っていた。このため、福島県会は1942年(昭和17年)の段階から医学専門学校の設置を検討していた。設置認可を受けるには不足した要件もあったが、附属病院に関しては公立福島病院組合会が同病院の医専への寄付を決定し、建設費300万円も県内有志からの寄付を募った。また、初代校長として東北帝国大学医学部長の八木精一が招聘に応じた。「福島県立女子医学専門学校」設立申請は1944年(昭和19年)1月9日の県会にて可決し、即日文部省に送付された。翌10日に認可を受け、3月5日に福島・仙台・東京で入学試験が実施された。応募者1,180名は学科試験・身体検査・口頭試問により選抜され、151名が4月20日の入学を迎えた。学制改革期1945年、日本のポツダム宣言受諾後、GHQによる占領政策のもと、医学教育についても改革が及んだ。修了期間4年間の医専では、自然科学・人文社会科学の基礎的素養に欠ける医師しか養成できないとして、これらを充実するか、あるいは満たせない場合には廃校とする方針が打ち出された。県会でも県立女子医専の存廃が議論され、「せっかく創設したのだから残すべき」、「外地の医師が復員したら医師が飽和状態になるのではないか」などの意見が出されている。1946年に行われた中央による視察では、募集定員の削減を求められたものの組織については存続を認められた。だが翌年1947年にかけて発表された中央の各種政策の中で、全国の医専をA・Bにランク分けし、Bランク医専については廃止することが明らかとなり、福島女子医専は「厚生専門学校」(看護・保健主体の教育機関)になるとの情報もあった。医科大学としての存続を望んだ在籍学生・教職員は、1946年(昭和21年)末に大学昇格運動本部を設け、陳情を受けた県会も「緊急決議案」を全会一致で採択し、県・自治体・商工会関係者らで成る「医科大学設立期成同盟会」が発足した。こうした運動の結果、1947年(昭和22年)6月13日、旧制福島県立医科大学予科の設置が認可された。この日は本学の開学記念日となっている。
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